AFTER POST OFFICE.

ブランコ

文章 山地大樹
ブランコに乗る女の子の写真
代々木 . 2021.08.07

往復する、現実と幻想を。

往復する、物質と意識を。

往復する、具象と抽象を。

往復する、あちら側とこちら側を。

ぶらぶら、ぶらぶら。

反覆する、自己と他者を。

反覆する、没入と解離を。

反覆する、孤独と群衆を。

反覆する、あちら側とこちら側を。

ゆらゆら、ゆらゆら。

たゆたう弁証法の蝶々。

ブランコの加速性

ブランコ。それはある2つの項を往復する遊びである。ブランコの本質とは「加速性」にある。車がアクセルを踏むことで大きく加速するのと同様である。少しばかりの足の振り上げによって、大きく加速する。「漕ぐ」という体験のブースターであり、体験が膨らむことで、2つの項を往復するエネルギーを得る。漕ぐことをやめても、途端に止まるわけではない。徐々にエネルギーの残り香が、ブランコを動かし続ける。

ブランコの人間性

ブランコ。それは漕ぎはじめることで人間と一体化する遊具である。ブランコには人間の匂いがこびりつく。「漕ぐ」という体験を通じてエネルギーが増幅される。漕ぎ終わったブランコは疲労困憊する。漕ぐことをせずにブランコに腰掛けると哀愁が生まれる。漕がなければ生気は奪われてゆくばかりである、幽霊のように。漕がれないブランコは宇宙と同様の静けさを持つ、死体のように。ただ何度でも蘇る、水をやると元気になる植物のように。ブランコはミイラである。いつか一人で動き出すだろう。

ブランコの円運動

ブランコ。それは未完成な円である。ちぎれた円弧の振り子である。完全なる円を求めてまわろうとする人間の欲望を表す。ある者は立ち漕ぎをしてまでも、円を作り出そうとする。コンパスと同じである。ある体験によって現象する正円。その完全なる円を頭に浮かべながら、その夢を追いかけて漕ぎ続ける。漕ぎはじめなければ、ブランコはぶら下がった直線でしかない。

ブランコの場所性

ブランコ。それは主体と客体の構造連関の渦である。揺らすという身体的体験を媒介として、身体は揺らされる。重力場のような逆説的な場所である。たゆたう快楽は身体の深く底に内在化され、人間はついに自身の力によって無限にたゆたえる装置つくりだす。装置との合体である。そうして、揺らすことにによって揺らされる場所が形成された。
山地大樹 / Daiki Yamaji
memo / 2021
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